2017年2月27日月曜日

第14回〜自由な学力〜

何のために人は苦労して「学ぶ力」を高めるのでしょうか。





人それぞれ異なるにせよ、最終的には「自分を自由にするため」という理由で括られます。





人はさまざまな制約を抱えています。社会的・経済的・知性的・性格的・感情的・生来的に、何かしらの制約を受けています。学ぶ力を高め、さまざまなことを学ぶことで、少しずつ自分を自由にすることができます。





それが「学力」です。





日常は「学びの事象」で形作られています。無駄な体験や知識は一つとしてありません。勉強は日常に溢れる「学びの事象」ほんの一部であって、むしろそれ以外の事象からいかに多くのことを吸収できるか。それが本当の「学力」を高めます。





それは「自由な学力」と呼べるでしょう。





聡明な人は成長するサイクルを「自由な学力」として自分の中に取り込んでいます。





自分の現状や意見と対立した場合、自己中心的で攻撃的な人は反発を繰り返し、認めたくない意見を論破しようと躍起になります。また、頑なな人は自分の殻に閉じこもって背を向け、自分にはない考え方を拒絶します。





前者は積極的な意思表示であり、後者は消極的な意思表示ですが、いずれも「自分を変えるつもりはない」という意思表示に変わりはありません。せっかく高い学力があっても、同じ場所にとどまり続けようとします。





一方で、「自由な学力」を持つ人は、相反する意見や状況に直面した場合、自分を変化させて前に進もうとします。そのサイクルが確立されているのです。





不自由な人は、自分の限界を自分で決めています。頑なな心で、「自分はこういう人間だから」と宣言して、そこから動こうとしません。それは自分の体を「思い込みの鎖」で縛るのと同じです。





ですから、自分の考えや体験が通じない状況に出くわしたとき、それに反発するか、背を向けるかして、自分を守るのです。それもできなくなると、自分自身をコントロールできなくなり、その場にしゃがみこんでしまいます。





「変わらない強さ」というのは、「今の自分に挑戦する姿勢が変わらない」ということであって、「今の自分のままでいる」ということではありません。時間は人に変化を要求し続けるという現実と向き合い、自分を変えるための方法を探し続ける強さが「変わらない強さ」なのです。





変化の種類は二つだけです。追いつめられて不本意な自分に変化するか、それとも追いつめられる前に望んだ自分に変わるか。その二つの変化しかないのです。





両者を分かつ見えない線。「聡明の境界線」というものがあるとするなら、それは「自由な学力」を持った人々が「自分が望む自分」に変わるために覚悟を決めようと立ち止まった足跡の連なりなのかもしれません。(完)






2017.2.27