2016年10月26日水曜日

第10回〜学力を鍛える(1)〜

「聡明な判断力」は学力の最終形態でもあり、そこを目指して学力は長い時間をかけて変化していく。前回はそのように締めました。





みなさんがこれまで出会った人々の中で、「あの人は優れている」と感じた人を思い浮かべてみて下さい。





その人から受ける印象は、頭の回転の速さやキレや、正確さと的確さではないしょうか。スピード感があり、クリアで、ムダがない。そういった個々の印象が「聡明さ」に置き換えられます。





その大本をたどっていくと、「判断力」に突き当たります。





「判断力」とは知識と理解が結晶化されたものです。過去から現在を分析し、未来を予測した上で、変化する力です。知識や理解は狭い意味での学力ですから、それを高めることは「判断力」を「鍛える」ことにつながります。





判断力を「鍛える」ために、学力を「鍛え」ます。「鍛える」とは「使いこなすこと」です。





理解を高め、知識を増やす。それによって学力は「高まり」ますが、「鍛え」られているとは限りません。





学力を「高める」とはパソコンを組み立てるようなものです。部品をカスタマイズして、性能の良いハードディスクやCPUに交換することで、パソコンの性能は向上します。





一方で、それを使いこなすのは別の力です。初心者に高性能のパソコンを与えても宝の持ち腐れです。その性能を引き出すことができないからです。劣る性能のパソコンを与えられた上級者の方が、遥かにクリエイティブで優れた作業をします。





学校時代は成績が良く、有名大学を卒業したのに、社会人として有能ではなかった。その話も、その逆の話も、よく耳にする話ではありませんか。





三十段変則の自転車であっても、三段までしか使えなかったら三段変則の自転車と同じです。五段で走る五段変則の自転車に負けてしまうのです。





この運用能力が判断力を支えています。この力を鍛えるには、「学力は勉強だけで鍛えるという考えから逃れる」ことです。







2016.10.26